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第30話 恩師との出会い

父の交通事故があってから、家族の絆は以前にも増して

より一層強まりましたが、父と母は平行線のままでした。

この頃、母は目黒から銀座へスカウトされ、忙しい

時期だったようです。

母は相変わらずでしたが、それでも帰ってくると

何かしら、でぶっちょ達の世話をやいてくれました。

だんだん母がいない生活にも慣れてきて、小学校も

楽しくなってきました。

そんな中で、祖父だけは父に気兼ねをして、肩身の狭い

思いをしてたようでした。



昭和42年4月 でぶっちょは5年生に、弟のつよっちょは

2年生、ちびっちょは幼稚園にそれぞれ進級しました。

でぶっちょはこの時、担任の大野幸子先生

出会ったのです。

先生はこの時たぶん37〜8歳くらいだったと思います。

5年と6年の2年間受け持ってもらい、その後の学校生活の

基盤ともいえる習慣態度を教わりました。

学級委員にも推薦してもらって、お陰でその後

生徒会活動は、高校生まで続くことになりました。

先生がでぶっちょにつけたあだ名は「まじめ人間」でした。

何をするのにも、一生懸命で頭に「くそ」が付くくらい

まじめでしたので、そうなったのでしょう?

今では、見る影もありませんけどね。(笑

もちろん、家庭のことも理解してくれて、家にも

たまに、顔を見せたりしてくれてました。

家庭訪問の時に、父に「おたくのまじめ人間はどうですか?」

などと、聞くものですから、父もまんざらではないようでした。


プールで泳げるようになったのも、大野先生のお陰です。

担任になる前の、4年生の夏休みのプールの進級テストで、

当時一番下の7級も受けられなかった、でぶっちょに

臨時でもっと短い距離の8級の設定をしてくれたのです。

8級は7級の半分の距離3.5メートルでした。

いまなら、蹴っただけでもそれ以上いけますが、

当時は溺者だったので必死でした。

それでも見事に合格しました。 

結果的には7メートル、泳げたのでした。

それから、ぐんぐん泳力がついて、5年生の夏には

学校代表で品川区の水泳大会に出場するまでになったのです。

学校のクラブももちろん水泳クラブに入りました。

卒業後も交流があり、中学校に上がってからは、夏に小学校の

プールへ水泳を教えに行ってましたが、それも、大野先生の

はからいでした。 

もちろん中学生ですから、無給で表向きは先生の補助要員でした。

年賀状のやりとりは、大人になるまで続いて、クラス会

にも顔を出してくれて、会うと「まじめ人間」て冗談で

言ってましたっけ。

手紙で相談にも乗ってもらいました。

本当に恩師と言える先生だったんです。

7〜8年前にお亡くなりになったと聞きました。

でぶっちょは東京を離れてましたので、情報が遅くて

葬儀には参列できませんでしたが、残念です。

今の寿命からしたら、早い旅立ちですね。

もう一度会っておきたかったです。


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でぶっちょの水泳はじめて物語
http://plaza.rakuten.co.jp/tatsuo16/diary/200705210000/


 つづく













この記事へのコメント
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Posted by クリスティアンルブタン at 2013年07月17日 14:50
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